なぜ私たちは一匹でも多く釣りたいのだろう?〜船小物の数釣りをどう考えるのか〜

シロギスの数釣りとO.F.Fの釣り竿

カワハギやシロギスのような、いわゆる船の小物釣りを長くやっていると、ときどきこんなことを言われます。

「そんなに数釣ってどうするの?」

あるいは、

「そんなに数にこだわらなくても、楽しければいいじゃない」

まあ、確かに! とも思います。

 

カワハギを30枚釣ったからといって、30枚必要だったわけではありません。

シロギスを100匹釣ったからといって、100匹食べないと家族が飢えちゃうわけでもない。

でも私はこの言葉を聞くたびに、昔から少しモヤモヤするところがありました。

短く言語化するなら、それってそもそも「数釣り」っていうジャンルだからって感じでしょうか。

 

カワハギでもシロギスでも、一匹の魚を掛けるために、誘って、待って、アタリを捉えて、掛ける。

その一回一回の勝負を繰り返した結果が、10匹だったり30匹だったり100匹だったりします。

だったら一匹でも多く釣れた方が嬉しい。

 

これはこの文脈からすれば当たり前の話のような気がします。

一方で、私自身も「とにかく誰よりも数を釣ればいい」と考えているわけではありません。

トップになれば嬉しい。

でも2番手でも満足して帰る日はあります。

逆に、数字だけ見ればそこそこ釣れているのに、どうにも納得できない日もある。

 

では、私はいったい何を見ているのでしょう。

長いこと自分でもうまく言葉にできなかったのですが、最近この「数」について改めて考える機会がありました。

今回は少し技術論から離れて、船の小物釣りにおける「数」について考えてみたいと思います。

 

「楽しければ数なんてどうでもいい」は本当か

釣果があまり良くなかった日に、

「まあ、今日は楽しかったから数なんてどうでもいいよ」

という言葉を聞くことがあります。

もちろん、その気持ちは分かります。

釣りの楽しさは魚を釣ることだけではありません。

 

仲間と船に乗ってワイワイやるのも楽しい。

天気のいい日に海へ出るだけでも気持ちがいい。

昼飯を食べながらくだらない話をするのも楽しい。

私自身、誰かをアテンドする釣行もよくあります。

教室などで終日生徒さんをみることもありますし、同行者に釣りを教えながら自分も竿を出すような日もあります。

そういう日は、自分が何匹釣ったかより連れていった人が喜んでくれたことの方が嬉しかったり。

極端な話、自分は竿を一切出さなくても生徒さんが釣って、楽しんで、「今日は面白かったです」と言ってくれれば、それで十分楽しい一日になることもあります。

 

でも、それと自分自身が一日がっつり釣りをした場合は少し分けたほうが良い。

たとえばこんな感じで考えてみましょうか。

カワハギで、トップが30枚。

自分は1枚。

朝から夕方まで自分も本気で釣りをして、それで1枚だった。

そのときに、

「いやあ、楽しかったから数なんてどうでもいいんですよ」

と私はなかなか思えません。

 

一日は楽しかった。

仲間と過ごした時間も楽しかった。

天気も良かった。

飯もうまかった。

でも、釣りはダメだった。

それでいいんじゃないかと思うのです。

 

「楽しかった」と「釣りがうまくいった」は、常にイコールとは限らない。

両方100点の日もあれば、楽しかったけれど釣りは20点という日もある。

逆に釣りは最高にうまくいったけれど、船酔いして一日何となく気持ち悪かった、なんてこともあるかもしれません。

全部を「楽しかった」という一つの評価で塗りつぶす必要はない、と思っています。

 

私が「楽しければ数なんてどうでもいい」という言葉に少し引っかかるのは、たぶんこの辺なのです。

 

では、なぜトップになると嬉しいのか

私はトップになれば嬉しいです。

これは格好をつけても仕方がありません。

カワハギで竿頭になれば嬉しいし、シロギスで一番釣ればやっぱり嬉しい。

では、なぜ嬉しいのでしょう。

 

単純に、

「俺が一番だ」

と思いたいだけなのか。

もちろん、そういう気持ちも多少はあるでしょう。

人間ですからね笑

ただ、それだけではないように思います。

 

私にとってトップという実績は

その日、その海、その魚、その状況に、自分がかなりうまく合わせることができた

ということを、ある程度客観的に示してくれる結果でもあります。

 

数釣りというのは面白いもので、一匹一匹の小さな成功が最終的に数字になります。

魚のいる場所を考える。

仕掛けを動かす。

止める。

アタリを感じる。

掛ける。

巻き上げる。

また投入する。

その繰り返しです。

 

どこかが大きくずれていれば、普通は数字が伸びません。

だから一日の最後にその船で一番大きな数字が残ったということは、少なくともその日においていろいろな判断や操作がかなりうまく噛み合っていた可能性が高い。

だから嬉しいのだと思います。

 

陸上競技なら、100メートルを走って1位になれば嬉しいでしょう。

でも競技者なら順位だけではなく、自分のタイムも見るはずです。

ゴルフでも、誰に勝ったかだけではなく、自分がどんなスコアで回れたかが重要になります。

 

船釣りは、これらよりもう少しややこしいところがあります。

魚の気分。

潮の変化。

船の挙動。

それにより釣り座の優劣まで出る。

 

同じ船に乗って同じ仕掛けを落としていても、全員がまったく同じ条件で競技しているわけではありません。

だから、トップ=その船で一番上手な人、とは限らない。

それでも、その日の結果として一番多く魚との勝負を成立させたことは事実です。

私はたぶん、そこに価値を感じているのだと思います。

 

2位じゃダメなんですか?

長年数釣りを真剣にやっていると「そんなにトップじゃなきゃダメなの?」という話になることがあります。

そこで、あの有名な言葉。

「2位じゃダメなんですか?」

いや、別にダメじゃありません笑

私はトップを目指して釣っていますが、トップでなければその日が失敗だとは思っていません。

 

たとえばカワハギで、トップ23枚。

私は18枚。

5枚負けました。

その5枚がどうして生まれたのかは考えます。

自分の技術が足りなかったのか。

判断を間違えたのか。

相手がその日の状況を非常に得意としていたのか。

あるいは席の差だったのか。

「もう少しこうしていたら、あと2枚、3枚取れたかもしれない」

ということは考えます。

 

でも、自分なりにその日の状況に対応して、かなりいい釣りができたという感触があれば、23対18で負けたこと自体をひどく悔しがることはありません。

負けは負け。

でも、今日は自分なりによくやった。

それでいい日もあります。

 

私が以前から「数はそれほど気にしていない」と言うことがあるのは、たぶんこの意味です。

トップ30枚、自分3枚でも数はどうでもいい、という意味ではありません。

順位そのものに自分の一日を支配される必要はない

ということなのだと思います。

 

数字は同じでも、その意味は違う

船釣りをやっていると、数字だけでは何とも言えない場面によく出会います。

たとえば、こんな状況を考えてみます。

シロギス釣りで、私は右舷の艫から2番目に座っています。

その両隣にはアテンドしている人がいる。

一方、対角線となる左舷ミヨシには、腕のある釣り人が座っている。

 

そして、その日は一日中、船が左前へと流れる展開になったとします。

明らかにミヨシ側が有利です。

結果、左舷ミヨシの人が100匹。

私は80匹。

数字だけ見れば20匹差。

完全に負けています。

でも、その80匹を釣った自分が、

「今日はかなりよくやれたな」

と思うことは普通にあります。

 

もちろん船を降りて、

「いや、俺は席が悪かったからさ」

なんて言い訳して回る必要はありません。

100対80という結果は、そのまま100対80です。

ただ、自分の中では、

「なぜ20匹の差がついたのか」

を分析します。

 

自分のミスはどのくらいあったのか。

席による差はどのくらいあったのか。

アテンドしながらの釣りとしてはどうだったのか。

そのうえで「今日は自分としてはかなりやれた」と判断することもある。

 

逆もあります。

例えばカワハギ。

単独釣行で左大艫に座り、一日の大半の時間潮先で30枚釣った。

が、一方で一日中かなり不利だった対角線右ミヨシの人が28枚釣った。

数字だけなら私の勝ちです。

竿頭は30枚。

でも、その日の状況を自分自身がよく分かっていれば、

「いや、あの席から28枚釣ったのか……」

と思うはずです。

経験がある人ほど、むしろ分かってしまう。

 

数字では自分が2枚勝った。

でも今日、本当にすごい釣りをしていたのはどちらだろう。

そんなことは船釣りでは普通にあります。

だから私は、

数字は客観的だけれど、数字の意味まで数字だけで決まるわけではない

と思っています。

 

「勉強になりました」という便利な言葉

ここでもう一つ、以前から気になっている言葉があります。

「今日は本当に勉強になりました」

釣りの世界では、かなりよく聞く言葉です。

もちろん、本当に勉強になったのなら何の問題もありません。

私も使います。

 

ただ、この言葉、とても便利なんですよね。

今日は全然釣れなかった。

悔しい。

隣の人には倍も3倍も釣られた。

何をやっているのかもよく分からない。

でも最後に、

「いやあ、今日は本当に勉強になりました。次に生かしたいと思います」

と言うと、なんとなく一日がきれいにまとまります。

負けた一日が「学びの多い有意義な一日」に変わる。

これはなかなか便利です。

 

私自身も、圧倒的に釣られれば悔しいです。

特に悔しいのは、自分には何をやっているのかすら分からない釣り方で圧倒されたときです。

「なんで?」

となります。

そういうときに私が一番やりたくないのが、

「あれは自分とは流派が違うから」

「自分の釣りとは違うから」

「自分には合わないから」

で終わらせ、フワッと「勉強になった」と言って締めることです。

 

だって、実際釣れているんですよ。

自分には釣れない魚を、その人は釣っている。

だったら、そこには何かがあるはずです。

 

私は本当に分からなくなったとき、自分の釣りを止めることがあります。

自分が一匹でも多く釣りたいはずなのに、竿を置いて人の釣りを見る。

この人は何をしているのか。

竿をどの角度で持っているのか。

錘をどのくらい動かしているのか。

どこで止めているのか。

何を感じた瞬間に合わせているのか。

それでも分からなければ、相手が許してくれる範囲でなるべくリアルタイムで、事細かく根掘り葉掘り聞きます。

 

場合によっては、

「ちょっと竿を一緒に持たせてもらっていいですか?」

とお願いすることまであります。

相手が操作している竿に自分も手を添えて、どういう動きをして、手元で何を感じているのかを身体で確認する。

 

ここまでやっても分からないことはあります。

でも、それでいいと思っています。

 

少なくとも、

「勉強になりました」

という一言だけを持って帰るよりは、何か一つでも具体的な疑問を持って帰りたい。

 

これは教室の生徒さんにもよく話していることです。

分からないことがあったら、分かったふりをしなくていい。

むしろ「分からない」という状態は、結構大事なのではないかと思っています。

 

圧倒的に負けると悔しい。でもワクワクする

そして不思議なことに、まったく理解できない釣りで圧倒的に釣られると、ものすごく悔しいのと同時に、私はめちゃくちゃワクワクします。

「なんだこれは???」

となる。

これだけ長く釣りをしてきたのに、自分が知らない世界がまだある。

 

これは私自身の性格もあるでしょう。

もともと何かを研究したり、新しいものを試したりするのが好きです。

さらに今は釣竿を作ることを仕事にしています。

 

新しい釣り方を知れば、

「じゃあ、この釣りに合う竿って何だろう?」

というところまで考え始めます。

 

だから、自分がまったく知らない方法で圧倒的に釣る人に出会うことは、悔しいと同時にものすごく面白いのです。

カワハギ釣りでは、これを何度も経験してきました。

 

「なんだこれは」から始まった擦過シグナルの釣り

昔、私がカワハギ釣りを始めたばかりの頃。

まだ擦過シグナルを頼りに釣るという感覚を持っていなかった頃、その釣りをしている人に出会いました。

カサカサ、カリカリといった、カワハギの歯が針に触れている微細な情報を捉える釣りです。

当時の私には、それがよく分からなかった。

でも、その人は釣る。

 

そこで教えを乞いました。

カーボントップの竿がいいと聞けば、自分でも使ってみる。

すると、

「なんだこれは」

となった。

 

今まで自分が見ていなかったものが見える。

今まで知らなかった感触が魚からの情報として手元にくる。

そして釣れる!

これは面白かった。

 

そこから私は、その方向の釣りをかなり集中的にやるようになりました。

自分なりに研究して、道具も考えて、技術として積み上げていった。

すると、それまで釣れなかった魚が釣れるようになる。

一段階、自分の釣りが変わった感覚がありました。

 

できるようになったら海が変わった

ところが、釣りはそこで終わりません。

東京湾のカワハギがだんだんフィネス化していきました。

それまで自分が得意としていた擦過シグナルを取っていく釣りだけでは、対応しにくい場面が増えてきた。

すると、また別の方法で圧倒的に釣る人が現れます。

その一つが誘い掛けでした。

 

カワハギでは当時の私はあまり使っていなかった感覚でしたが、実際にやっている人を見るとめちゃくちゃ釣れる。

そこでまた教えてもらいました。

これは比較的早く理解できました。

なぜなら、私はシロギスで似たような誘い掛けをずっとやっていたからです。

「ああ、これか」

 

とつながった。

別の釣りで身につけた技術が、カワハギにそのまま応用できたわけです。

 

だったら、この釣りをもっとやりやすくする竿を作ったらどうなるのか。

当然、そんなことも考え始めます。

職業病です笑

そして、その方向にも使える竿(カワハギ斬ZAN‼︎TypeM)を作りました。

 

何をやっているのか、本当に分からなかった

さらに数年が経過すると東京湾のフィネス化が一段と進み、今度はもっと分からない釣りが出てきました。

これまでの感覚ではちょっと信じられないくらいの軟調子の竿で圧倒的に釣る人たちがいる。

各種の大会でもこの方向のアプローチが上位を独占することが増え始めました。

でも、自分には何をやっているのか分からない。

しかも最初の頃は同じ船で見る機会すら少なく、別の船で圧倒的な数字を出しているという情報だけが入ってくる。

 

まことしやかな都市伝説めいた話もあちこちから聞こえます・・・・これには困りました。

何年か、よく分からない時期がありました。

でも、分からないからこそ気になります。

機会があれば人に聞く。

竿も借りて教わりました。

もちろんO.F.Fの竿ではありません。

他社の竿でも、その釣りを理解するために必要なら借りて使う。

まず自分が何を理解していないのかを理解しなければ、竿を作ることもできません。

 

そして練習する。

試作品を作る。

また釣る。

違う。

また変える。

 

そんなことを繰り返しているうちに、

「この竿は何を狙っているんだろう」

「なぜこれで魚が釣れるんだろう」

ということが少しずつ見えてきました。

 

そして、その竿と釣り方の意図が理解できたところで、そこへ思い切ってフォーカスした竿を試作しました。

それが現在のカワハギ斬ZAN‼︎TypeSの原型です。

この竿で目感度と誘い掛けを組み合わせたフィネスの釣りをやってみる。

これが自分の中ではドンピシャにはまりました。

そこで初めて、それまで点だったものがかなりつながった感覚がありました。

 

新しい釣りを取り入れると一度下手になる

ただし、こういうことをやっていると、いつも順調に上手くなるわけではありません。

むしろ一度、下手になります。

これは何度も経験しました。

それまで自分の中である程度完成していた釣りを崩して、新しい動きを入れる。

すると、新しい釣りはまだできない。

 

そのうえ、それまで普通にできていた釣りまでおかしくなる。

結果、以前なら普通に釣れていた魚まで釣れなくなる。

メンタルも崩れます。

これは結構つらい。

「余計なことを始めなければよかったんじゃないか」

と思うこともありますし、言われます。

 

でも、そこを越えて新しい釣りが身体に入ってくると、面白いことが起こります。

昔の釣りがなくなるわけではありません。

昔の釣りと新しい釣りを使い分けられるようになる。

あるいは両方を混ぜられるようになる。

 

擦過シグナルで取る魚。

誘い掛けで取る魚。

穂先の震えで取る魚。

さらにそれらの中間や別の方法がいい場面。

 

自分の中に選択肢が増えます。

釣り方のポートフォリオが増える、と私は考えています。

 

すると、それまでどうしても釣れなかった魚が、驚くほど簡単に釣れることがあります。

「あれだけ苦労した魚が、こっちのアプローチから行けば普通に釣れるのか」

となる。

この瞬間は、本当に面白い。

 

カワハギだけではありません。

シロギスでも同じような経験を何度もしてきました。

天秤の釣り ↔︎     胴突きの釣り

これらの間を無段階に調整できるようになりました。

 

だから今では、自分がまったく知らない流派で圧倒的に釣る人を見ると、

「これはチャンスかもしれない」

と思うようになりました。

もちろん、その瞬間は悔しいですけどね(笑)。

 

数は「勝敗」だけではなく「情報」なのかもしれない

こうやって考えてみると、私が数釣りの「数」を気にする理由が少し見えてきます。

数はもちろん得点です。

トップなら嬉しい。

負ければ悔しい。

そこを無理に格好よく否定する必要はないと思っています。

 

でも、数は勝敗を決めるためだけにあるわけでもない。

今日、自分はどれだけ魚に合わせられたのか。

身につけたことが今日はできているのか。

どんな状況が苦手なのか。

席による差なのか。

自分の技術の問題なのか。

そして、ときには、

自分が存在すら知らなかった釣り方があるのではないか。

そんなことまで数字が教えてくれることがあります。

 

自分10枚。

隣30枚。

これは悔しい。

でも、その20枚の差の中に、自分が知らない何かが隠れているかもしれない。

 

そう思うと、20枚差は単なる敗北ではなくなります。

だからといって、

「今日は勉強になったから負けてもよかった」

ときれいにまとめる必要もありません。

悔しいものは悔しい。

 

そのままでいい。

ただ、

「なんで?」

を残しておく。

私はその方が面白いと思っています。

 

逆に、数なんてどうでもいいと最初から数字を見なければ、そこにある情報まで捨ててしまうことになります。

一方で、数字だけを見て、

「30対28だから俺の勝ち」

で終わってしまっても、やはり数字が持っている情報の大部分を見落としてしまう。

数字を軽視するのも、数字だけに執着するのも、どちらも少しもったいない。

最近はそんなふうに考えています。

 

まとめ

〜だから私は、これからも一匹でも多く釣りたい〜

結局のところ、私はこれからも一匹でも多く釣りたいと思うのでしょう。

トップになれるならトップになりたい。

それは変わりません。

でも、トップでなければ楽しくないわけではない。

2位でも、自分なりに最高の釣りができたと思えば満足して帰る日があります。

 

逆にトップでも、

「今日はもっとできたはずだな」

とモヤモヤして帰ることもあります。

 

そして、圧倒的に負けて、

「何をやっているのか全然分からない」

という人に出会ったら、たぶん私はまた見に行きます。

聞きます。

必要なら竿まで一緒に持たせてもらいます。

それでも分からなければ、分からないまま持って帰る。

そしてまた考える。

 

これだけ長く釣りをして、釣り竿を作ることまで仕事にしているのに、まだ時々、

「なんだこれは」

という釣りに出会います。

そして、そのたびに自分の釣りが少し壊れて、また組み直される。

するとそれまで釣れなかった魚が釣れるようになる。

たぶん私は、それがたまらなく面白いのだと思います。

 

数にこだわることと、数に振り回されることは、似ているようで少し違います。

数は勝敗でもあり、自分の釣りを映す鏡でもあり、ときには自分の知らない世界があることを教えてくれるサインでもある。

そう考えると、「そんなに数釣ってどうするの?」と聞かれたときの答えは、案外単純なのかもしれません。

一匹でも多く釣ろうとする、その過程そのものが面白いから。

少なくとも私は、そんなふうに数釣りを楽しんでいます。

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