釣りにおける「本質」について考えてみた

「本質」という言葉は色々な場面に登場します。

例えば「〇〇の本質は△△である」とか、特に私のような理屈っぽい人間であれば日常的によく使ったりします。

 

ふと「本質」の対義語ってなんだろう?と思ったんですが、うーん、虚構とか表層とかかなぁ・・・でもあまりピンと来ない。

意外にパッとは思いつかないものなんですね。

ってことで早速調べてみると、対義語は「事象」とありました。

事象とは表面的に現れている出来事のこと。

あぁなるほど!! 言われて見ればその通り!!

と、とても腹落ちしたんですが、その後に「あ、これ釣りの考え方の整理にすごく役に立ちそう」と思ったんです。

 

釣りの技術的な部分や論理的な考え方等において「本質」に近いイメージで使われるのが「極意」とか「セオリー」。

が、これらの言葉は頻繁に使われるが故にその意味が軽くなってしてしまう

要は、何にでも簡単に使ってしまうので陳腐化しているんですね。

中には全く本質とはかけ離れた枝葉末節な物事に軽々しく使ってしまったり・・・・

そしてこれがもたらすものは混乱です。

そこで、ここに対義語の「事象」を持ってくる。

すると「本質」の本来あるべき姿がよりクリアになり、切り分けがしやすくなるのではないか?

そう思い至った訳です。

 

ということで、今回はこのような視点から、船の小物釣りにおいて「本質」を捉えることの意味と、ともすると本質であるかのように誤認しやすい「事象」について考えてみたいと思います。

 

 

「釣り」は運ゲーなのか

「釣り」が他のスポーツと最も異なっているのは「人間以外の生き物を相手にする」という点でしょう。

これは、不確定要素がとても多く運に左右されやすい、ということを意味します。

実際のところ、世間一般で「釣り」といえば餌を付けて糸を垂らしてじっとしていると魚が勝手に食い付くもの、すなわち「運任せ」であり、宝くじを引くようなものと思われています。

今風に言うなら「釣りって運ゲーでしょ?」ってところでしょうか。

これはある意味では正解です。

釣りに運の良し悪しというのが介在するのは間違いの無い事実ですよね。

 

しかし、「船の小物釣り」というジャンルではこの運の要素が相対的に減っていき、論理的、且つ技術的な要素が大きくなってくる。

このことは我々にとっては周知の事実であり、その理由はターゲット(魚)の数に依存しています。

もっと具体的に言うと「ターゲット数が多いと運の要素が減る」という関係になる、というわけです。

まずはここを抑えておかないと今回のポイントである「本質」と「事象」を見誤ることになりますので注意が必要です。

 

 

試行回数と再現性

数の多いターゲットを狙う小物釣りでは、ターゲットと自分の仕掛け(餌)が遭遇する回数が多くなります。

この遭遇回数は、統計学的に言えば試行回数となります。

 

統計の世界では、試行回数が増加することにより運などの不確定要素が減って行くと考えていて、これを「大数の法則」と言うそうです。

まぁ、感覚的に捉えてもターゲットがたくさん居る場合と少数である場合を考えればどちらが運任せになりやすいかは容易に想像できると思います。

そして運の要素が減ることは、逆に言えば再現性が高まるということ。

つまりパターン化ですね。

 

ちなみに、釣りを含めた「生き物を獲る」という行為には、元来これによって得られる興奮や満足感、いわゆる狩猟本能が満たされることによる悦びがあります。

しかしこの行為の中にある運の要素が相対的に減っていくことで、「本能的な悦び」とはちょっと違う楽しみ方の要素が増えてくるように思います。

その要素とは習熟とそれに伴う結果の好転。

平たく言えば「達成感」で、これを味わう悦びはとてもスポーツ的なものと言えるのではないでしょうか。

「運ゲー」ではその多くがたまたま起こることの繰り返しですから、習熟度と結果が結びつき難い。(もちろん結びつく場面もありますが)

スポーツ的な習熟度を上げるための理論構築と練習は、それが「本質」をついていればいるほど効果的になるのは当然で、この本質の部分を時に「極意」と言ったりするわけです。

 

 

大数の法則で「本質」に近づく

先程出てきた大数の法則ですが、これについてよく例に出されるのがサイコロの出目の話しで、ざっくり説明すると、

・サイコロの出目は理論上6分の1の確率になるはず

・だが、実際には6回振って各数が一回ずつ均等に出ることはあまり無い。

・それでも100回、1,000回、10,000回とサイコロを振り続ければ出目は限りなく6分の1の確率に近付いていく。

こんな感じですね。

 

ちなみにもしここで回数を増やしても6分の1とは全くかけ離れた出目になる場合、それはサイコロ自体にあらかじめ何らかの仕掛け(つまりイカサマですね)がされていたり、そもそも形が歪だったり、何かしらの理由が有りそうです。

 

レアな「現象」だけが印象に残る心理効果

特に形状の偏りが無くイカサマの無い普通のサイコロを振っている場合、試行回数を増やせば増やす程、確率は理論値である6分の1に近付きます。

しかし振り続けている中で、たまたま1の出目が2回、3回、4回と続く場面があったとしたら我々はどう感じるでしょうか?

おそらく続けば続くほど「特別なことが起こった」と感じるはずです。

もちろんこれは冷静に考えればたまたま起こったひとつの事象であり、「運」によるものに過ぎません。

しかし我々は、このような印象に残りやすい事象を特別なことと感じて追いかけてしまう思考の癖を持っています。

そしてこの癖は、釣りの場面でも頻繁に顔を出しているんですね。

 

わかりやすく極端な例を挙げると

仕掛けが根掛かりしてしばらく取れなくなり四苦八苦していたが、その後なんとか外れたらその日一番の大物が掛かっていた

という出来事。

これは分解すると、「根掛かりした」こと、「それが上手く外れてくれて助かった」こと、そして「運良く外れた仕掛けに大物が掛かっていた」こと、という3つの事象で構成されています。

これら幸運が重なったことで、心理的にとても印象に残りやすい。

しかし、ある程度の年数釣りをしている人であれば、それまでに「根掛かりが上手く外れた」という経験はかなりの回数あったはずです。

その数に対して「外れた時に大物が掛かっていた」という現象はおそらく数回、多く見積もっても割合いにして1パーセントにも満たないのではないでしょうか。

もちろんこういう出来事自体はとても面白いので、話の種としては最高です。

なので、きちんと事象として切り分けて理解しておけば楽しみ方として否定するものでない、ということは申し添えておきます。

 

 

事象から本質を見出そう

印象に残るレアな事象に囚われてそれを追いかけてしまうことは、本質に近づくにはあまり良い選択ではなさそうです。

発生した出来事から本質を見出すには、事象ごとに分解してしっかりと見極める必要があります。

先程の「根掛かりが外れたときに大物が掛かった」という出来事で考えてみましょう。

 

まずはこの出来事に含まれている個別の要素を抜き出してみます。

 

①根掛かりしていることでステイ時間が長くなった

②根掛かりを外そうとする動きが魚にアピールした

③外れた瞬間に餌がイレギュラーな動きをして誘いになった

 

私がぱっと思いついたのはこの3つですが、状況によってはもっと色々あるかもしれません。

これは、根掛かりして外れたことと魚が釣れる事自体に直接の関係は無いが、その出来事=事象の中に釣れることになった理由、つまり本質が含まれている可能性を示しているので、それに従って検証が可能になります。

 

例えば

①を本質だと想定した場合は、根掛かりせずとも長いステイ時間を作ってみる。

②であればボトムでしっかり錘を動かして砂煙を立ててみる。

③であればステイ後にイレギュラーな動きをロッド操作で演出してリアクションバイトを狙ってやる。

といった具合です。

 

これらを行うことでアタリが増える、ヒット率が上がる等、目に見えて効果があるようなら本質を捉えたと考えられるので、自分の引き出しとして採用していくわけです。

 

なお、釣行回数が増えることはそのまま試行回数の増加になります。

ですから入門から間もない頃、少ない経験から組み立てた理論が釣行回数の増加とともに大きく崩れていくというのは統計的に考えればこれは当たり前のことで、経験値が上がる、というのはこういうことなんですね。

 

 

相関関係と因果関係

先程示した「根掛かりが外れた際に大物が釣れた」という例は非常に印象に残りやすい事象ですが、実際にはそれほど頻繁に起こるものではありません。

ですから、これがレアケースであるということに思い至るのは結構簡単で、本質と思って追い掛けてしまうことはあまり無いかと思います。

が、もう少し頻繁に起こる事象だった場合が厄介で、多くの人がこれに惑わされて本質を見失ってしまいます。

 

例えばシロギスやカワハギ釣りで、ロッドをガシャガシャしていたらアタリが出た、というやつ。

「ロッドを動かす」というのは釣り方の一部として多く解説されていますから、あまり深く考えずになんとなく行う人が多いもの。

が、ロッド操作とは本来誘いのため、つまり「仕掛けを動かすため」に行うものであってロッドを動かすことそのものは手段に過ぎないのです。

これは言い換えれば、「ロッドを動かした」ということと実際に魚が釣れたことには、間接的な関係(相関関係)はあっても直接的な関係(因果関係)は無いということ。

当然、因果関係にあるのはロッドではなく「仕掛けが動いた」という事象のほうですね。

この辺りのことについては別記事でも触れているので、詳しくはそちらをご参考ください。

 

参考:【もっと釣れる船シロギスロッドを選ぶ】必須条件は『誘えるロッド』

 

もうひとつ例を挙げてみましょう。

シロギス釣りでメインの餌に使われている青イソメですが、餌付けの際には頭を切り落としてやるのが一般的です。

ここでよく言われるのが「頭(口)が付いているとシロギスが嫌がる」というもの。

これ、今でもあちこちで言われているんですが本当にそうでしょうか?

 

正直言ってイソメに頭(口)が付いているか居ないかをシロギスが都度確認してから喰ってきているとは思えないのです。

例えば、餌が自然に見えるか否か、という視点で見た場合。

本来海中に頭を切り落としたイソメは居ないので、この論理でいけば頭が付いているほうが良いということもできてしまいますよね。(そもそも日本の海に青イソメは生息していないというのもありますが、そこは置いておきます笑)

とは言え、頭を取っておくこと自体には効果が感じられるからこそ「シロギスが嫌がる」というわかりやすい例えで表現されるようになったのではないか。

実際のところイソメの頭を落とすことには一定の条件下では明らかな効果が感じられるのです。

そのひとつが、太いイソメを頭付きのまま餌付けすると掛けバラシや巻きバラシが増え、細いイソメであれば影響があまり無いということ。

つまり固く大きい餌を懐の狭いキス針に付けた場合、餌が針掛かりの邪魔をしてしまうのでは?というものです。

これを裏付けるのが、大きめで懐が広い針にしたり、イソメの頭を指で揉んで柔らかくしてやるとフッキング率が上がるという事実で、イソメの頭を取ること自体はシロギスの餌へリアクションと相関関係にはあるが、因果関係にはなさそうだ、ということです。

この事実に気がつくことで「必ず頭を切らなくてはいけない」から、その日の活性、餌の太さ、使用する針によっては敢えて頭を付けて使う、という選択肢が生まれますよね。

ちなみに硬い頭付きだと餌保ちがとても良くなり、ひとつの餌で何匹も釣れるので餌付けの手間が減って手返しが一気に上がる、という利点もあります。

(他にも因果関係にありそうなことがありますが、今回はこれくらいにしておきます)

このように相関関係と因果関係を見極めるとより本質に近づくことになり、色々な発見や新たな策が生まれてくることになります。

 

 

慣用表現に思考停止しないために

本質を見極めるために注意を向けた方が良いことのひとつが、良くある言い回しや慣用的な表現たちです。

 

例えば良く使われる〇〇が一番大事、というやつ。

「釣りは餌が一番大事」「針が一番大事」「糸が一番大事」等がこれにあたります。

もちろん、餌、針、糸がなければ魚釣り自体が成立しないので大事なのは当たり前ですから、こう言われると反論はできません。

が、これは「車が無ければカーレースができない」というようなレベル感の話であり、技術的な部分、好釣果につなげるために必要な部分とはそもそも議論の次元が違うのです。

また、これを、品質やその選定に気を使うことが大切である、というふうに受け取った場合。

確かにそれは大切でしょう。

しかし、我々釣り人個々人が必要以上に選定に気を使わなければいけないか?と言われると微妙です。

例えば、東京湾のカワハギ釣りなら概ねハゲ針で3.5〜5号程度、仕掛けの幹糸は3〜5号程度を使用するのが普通。

もちろん初心者、入門者はこの基準がわからないので、間違ったサイズや種類を使ってしまい痛い目をみることはありますが、それもおそらく最初のうちだけのこと。

既にある程度の基準が示されているので、慣れた釣り師はその範囲で自分が信頼しているものを使用することで事足ります。

また、品質に至っては製造側でしっかり管理されているので、素人の我々があれこれ言うまでもないでしょう。

 

多く使われる慣用表現というのは万人にわかりやすく受け入れられやすい、言い換えればそれっぽく否定されにくいものだからこそ定着している、とも考えられます。

ですから、非常にそれっぽく言い回しが非常に熟れているものほど、なんとなく鵜呑みにして分かった気になっておしまい、といういわゆる「思考停止」を招きやすくしている側面があります。(良い悪いではなく、あくまでそういう側面があるということで、否定するものでは有りません)

前項のイソメの頭云々もこれに当たりますね。

 

思考停止に陥らないためには、慣用表現をぼんやりと受け入れてしまわず、もっと優先順位が上の問題を見落としてないか?と考えてみることが重要です。

優先順位が2番目、3番目なのであれば、より優先度の高い問題をきちんとクリアしたほうが効果は大きくなるはずです。

 

 

まとめ

ということで、今回は釣りにおいて本質を捉えることについてつらつらと書いてみました。

天才と呼ばれる人達はこんなことを考えずとも一足飛びに本質たどり着いてしまいますが、我々一般人にはそんな芸当は無理です。

であれば、なるべく無駄の少ない筋道を辿っていきたいし、もし見誤って遠回りしてしまったとしても、常に先に進み本質に近づいていきたい。

そこで必要となるのが相関関係と因果関係の見極め「思考停止しないこと」です。

これからも、これを肝に銘じて精進していきたいと思います。

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